モンゴル、バヤンホンゴルでの安全衛生トレーニング
2006.7
労働衛生コンサルタント 外山尚紀
1. はじめに
モンゴル人力士が大活躍している。9回モンゴルを訪ねたが少なくとも現代の平均的な日本人は運動能力だけでなく精神力でもモンゴル人にかなわないと、私は確信している。男の子も女の子も立ち上がると同時に馬に乗り、あぶみに足が届かないような幼児が自分では乗り降りできずに大人に馬の背に乗せてもらってはギャロップでかなたへ去ってゆく、という光景を見ては運動能力の面では納得せざるをえない。精神面では遊牧民であるモンゴル人の自然観が「自然が第一で人間はその中で生かされている」というもので欧米の人間中心の考えとは異なることに由来しているように思われる。自然の中で人間は無力であって人の生き死に、ましてや貧富など大した意味はない、という無常観が執着心を捨てさせ精神的な強靭さを生み出しているのではないか。今回のモンゴルへの旅はそのような、人々を支える「ローカル」な思想や発想ということを意識させられる旅だった。
旅の目的は国際労働財団がアジアの国々の労働組合と共に進める参加型安全衛生環境改善トレーニング、ポジティブ・トレーニングの現地での伸展を確認するためである。1998年初めての訪問から8年、9回目の訪問となる今回は地方都市バヤンホンゴルでトレーニングを開催すること、そしてこれまでの成果を確認することであった。
写真1:ウランバートル、国立デパート前
建設中の建物
2. ウランバートル
6月30日、インチョン経由で深夜に近い時刻にウランバートルに入る。ウランバートル、「赤い英雄」を意味するこの首都は400年足らずの歴史のなかで清朝支配と独立、社会主義国家建設からペレストロイカ、その後の市場経済化という安易ではない近現代史を経てきた。特に最近急速に進むグローバル化のなかで、めまぐるしい、あるときには痛々しい激変のただ中にある。雪害で遊牧をあきらめ貧民となる人々、マンホールに住む子供たち、アルコール依存などが社会問題となる反面、自由化の波に乗ることのできた一握りの者は富裕層を形成している。わずか80万人たらずの都市であってもグローバリズムの影響は大きく現れている。
7月1日、現地の労働組合であるCMTU(モンゴル労働組合連合)の本部事務所を訪ねる。受け入れ担当は8年余の付き合いになる国際局長のスフバートルさん。他の多くのモンゴル人と同じく体は大きく強そうだが優しい気遣いを忘れない。いつもの笑顔で「オゲンキデシタカ?」と、いつものようにたずねてくれた。
明日からの行程と成果を見られる工場訪問の確認。今回は国際労働財団からパソコン、デジタルカメラなどが機材供与される予定で、それらが現地で購入されているかどうかも確認した。一部未だ購入していない機材を買いに街へ。小さなパソコン店がいくつもテナントとして入っている秋葉原のラジオビルの小規模版のような店を訪ねる。こうした機材は教育トレーニングには欠かせないが現地の物価と比較すると非常に高価だ。平均的な労働者の月給が1万円程度に対して、電子機器の価格は日本とほぼ同じなのだから「車を買う」感覚だ。こうした店の商売が成り立っているということからも富裕層が現れてきていることがうかがえる。
それにしてもウランバートルの変わりようは激しい。前回訪ねた1年半前と比べて街自体が拡大している。初めて訪ねた8年前、高度をおとす飛行機から見た街は広大な草原の盆地の底の小さな水溜りのようだったが、今、街は周囲の丘をはい上がっている。8年前は人も車も少なく閑散としていて「なんとうらびれた所に来てしまったのだろう」と感じたものだが、現在は人の往来が激しく車も激増して渋滞まで見られる。重々しい木のドアを開けなければ何を商っているのか分らなかった商店もショウウインドウと看板で飾り立てられている。
写真2:ウランバートル、スフバートル広場
3. バヤンホンゴル
首都ウランバートルから630km、バヤンホンゴルへ向かう2日間の行程は行けども行けどもの草原。車の中では景色を眺めるか、うたた寝するかしかない。夢と現をさまよいながら延々と続く草原を眺めていると、どこへ向かっているのか、そもそも目的地というものがあるのか分らなくなってくる。
草原を行く
行けども行けども草原
そのような境地になったころ草原の中から奇跡のようにぽっかりと浮かぶ島のようなバヤンホンゴルの街が見えてきた。街に入る少し手前の草原まで組合の委員長のグルセッドさんが迎えに来てくれた。バヤンホンゴル県はモンゴルでは4番目に大きな県である。人口は11万人なので江東区城東地区の2つの町、亀戸と大島を合わせた程度の人口がブルガリアくらいの面積に居住していることになる。想像を絶するくらいに人口密度が低い。もちろん羊や山羊の方が人間よりもはるかに多い。
バヤンホンゴル県庁広場
早速、明日からのセミナーの会場を確認し、見学を予定している工場を下見する。会場は県庁の建物の中のホールを使わせてもらい、設備も十分であることをチェックした。見学工場は地元のパン工場。県内にパンを供給している。工場では10人ほどの労働者が小麦粉を練ったり、形を整えたり、焼いたり、袋に詰めたりと忙しく働いている。社長も含めてほとんどが女性だ。手作業なので生産量は多くはないが、36種類の製品を作り、県内の半分以上のシェアを占めている。主力商品である菓子パンを味見させてくれた。ぼそぼそしていて甘みは少ないが噛んでいるうちに小麦の香りがしておいしかった。
CMTUバヤンホンゴル委員長(左)とJILAF柳谷さん
翌日からセミナーが始まる。参加者は開催地であるバヤンホンゴル県と隣のザブハン県から30名で、そのうち女性は15名。病院、学校、変電所、水道局、炭鉱そして見学するパン工場、近くの山の上にある気象台の労働者も参加してくれた。やはり組合の主力である公務員が多い。モンゴルの素晴らしいところはセミナーなどの行事に女性が必ず約半数を占めていることである。目にする人は男女約半々、発言も約半々、重要な地位にも女性が入っている。とても安心感がある。アジアのどの国へ行っても、イスラム圏であっても、こうしたセミナーへの参加は男女平等に機会を与えようと努力している。逆に日本の労働組合の安全衛生の会議や研修で参加が男性のみ、女性が事務局でお茶を入れているような場面にはよく遭遇する。「アジアの労働運動が遅れているので日本が支援している」などという思い込みはこの際すっぱりと捨てるべきなのだ。
開会式には、県の副知事も駆けつけてくれた。このセミナーは、モンゴルの最大イベントであるナーダム(夏祭り)と重なっていたので、副知事は翌日のナーダムのクライマックスであるモンゴル相撲の決勝戦に私たちを招待してくれた。
ナーダムの情景
セミナー風景
2日半のセミナーの初日の午前中は工場訪問とチェックリスト実習。今やポジティブ・アクションチェックリストはアジア8カ国で数十万人の労働者が利用する重要な安全衛生改善の道具となっている。チェックポイントは6分野(①物の運搬と保管、②ワークステーションの改善、③機械の安全、④有害環境の改善、⑤福利厚生と作業編成、⑥環境保護)に分けられた54項目を基本としているが例えば鉱山向けの、または電気関連作業向けのアレンジを施し、国、地域、産業に適応させたチェックリストを開発して各国で使用している。このチェックリストの優れているのは使い方を10分間程で説明すれば誰でもすぐに現場で使うことができるという点。こうしたセミナーでは参加者はたいがい「物見遊山」でやって来るものなのだがチェックリストを持って工場に入ると皆真剣にチェックリストと現場を見比べて真剣な表情で書き込み始めた。
モンゴルでのポジティブは4年ぶりであるが、その4年前のトレーナー養成コースに参加しトンガさん(女性)とバトゥーさんの2人が今回はトレーナーとして仕切ってくれた。2人とも素晴らしくよく気を配ってくれて、セミナーの内容は全く問題なくスムースに進行した。参加者の集中力も素晴らしかった。言葉はわらなくても一生懸命なことはわかる。「完璧でなくても足りていればよい(Not perfect, but sufficient)」は、このトレーニングの思想を端的に示す言葉だが、参加者全員が十分に一生懸命、課題に取り組み成果を発表した。安全衛生活動を繰り返す中で完璧に近づく、決して完璧には至らないのだが。
2日目の最後に見学した工場の経営者を招いて「最終提案」のセッションが行われた。2日間もかけて工場をテーマに討論を続けたことにいたく感銘を受けた様子で、社長は「皆さんの提案は全て必ず実行する」と宣言した。こんなに喜んでくれた社長を見たのは初めてだ。
3日目は、始めにツクバタールさんからCMTUの現状と課題について報告とそれについての全員討論が行われた。CMTUはモンゴルで唯一の全国組織だが平穏無事というわけでは全くなく、公共部門の縮小による組合員の減少、進まない民間企業の組織化、韓国などへの出稼ぎ労働者の権利擁護の問題等々多くの難問を抱えている。バヤンホンゴルでの最近の問題は労働組合の影響力の低下のようだ。民間企業で組合員が「能力がない」ことを理由に解雇されたとの報告があった。社会主義時代に大きな権限を持っていた労働組合が市場経済化によってその地位が低下しているのは旧社会主義国共通の問題だが、特にモンゴルでは社会主義からグローバリズムへ10年ほどの間に一気に変転している。政府や労働組合の権威が地に落ちて多くの人々は自由になったと感じていて、経済も好調だから未来への希望もあるのだが、貧しい人は不十分な社会保障のため困窮しているし、逆に富者はしたい放題で、漠然とした不安がある。労働組合は権威主義を克服して必要とされる人たちのために立ち上がろうと、今まさに奮闘している。
セミナーの最後はグループ討論で「今後の安全衛生環境のための活動について自分で実行したいこととそのために組合に支援してほしいこと」を決めて発表した。モンゴル人は一般的に豪快で大雑把のような印象を持たれてしまうことが多いが、実は環境保護に関心が高く繊細な面もある。「市街地のゴミを分別回収して適正に処理する」「建物の周囲に植林する」「電力消費が増加しているので節電する」のような提案が出た。
閉会式ではバヤンホンゴルの委員長グルゼッドさんが参加者に一人ひとりに声をかけ、短いコメントを話しながら修了証を手渡してくれた。参加者は大喜びで大いに盛り上がった。普段はたいていむっつりしていて、こんな様子ではないそうだ。そのグルゼッドさんは閉会のあいさつで謝辞と共に「ポジティブは人を大切にするということに感銘を受けた」と話していた。今更ながら「なるほど」と思うのはポジティブは各国各組合でそれぞれの受けとめられ方をしているということで、例えばパキスタンでは組織化の道具として使われ、バングラデシュでは簡素で機能的な面が重宝されたり、日本で私たちは参加型を職場活性化を意識して活用したりしている。モンゴルでは、グローバリズムに対抗する思想として育つのかもしれない。あいさつの中で私はトレーニングの中でも何度も強調したこと、それは「求めるこたえは日本にはない。ウランバートルにもない。ここバヤンホンゴルにある。」とポジティブがローカリズムの中で息づいてゆくことを願って話した。
宴会、たいへんな盛り上がり
草原でのお別れパーティも盛り上がる
セミナーの前後と合間には地元の劇場での歌と踊りの公演(ホーミーとか馬頭琴とか)を観たり、副知事の招待で貴賓席からナーダムのモンゴル相撲を観たり(やはり日本人はかなわない)、参加者みんなで歌いまくった歓迎会もあり、草原で石焼羊を囲んでの羽目を外したお別れ会(モンゴル人が羽目を外すとかなりすごいことになる)もあったが、最も印象深かったのは帰路で立ち寄った遊牧の一家だった。雨降りの肌寒い日だったが一家の主はゲルに私たちを招じ入れ、馬乳酒やモンゴルウオッカや牛乳酒やらでもてなしてくれた。お父さん、お母さん、子供夫婦と孫たちが3つのゲルに住んでいる。羊と山羊の乳搾りを見せてくれたが、これがもうたいへんな仕事なのだ。まず一家総出で、こなたかなたにいる羊と山羊の群れを集めてくることから始まる。そうして200頭もいる羊、山羊をロープに数珠つなぎにする。彼らはたいへんおとなしいので、首をぐるりと一重にするともう逃げない。小さい孫たちも手伝い、交互につながれた200頭もの羊、山羊は壮観だ。お母さんはただ一人でひたすら彼らの乳を搾る。重労働なのだが、この時季は豊かな青々した草原で羊も山羊も肥えて、お母さんはじめ一家は陽気で笑みが絶えない。電気も水道もない広大無辺な大地を羊たちと移動する遊牧の民のこの幸福な光景は千年来変わらない。
一家総出の乳搾り
お手伝いするのだ
モンゴル人は草原の遊牧民と言われる。これは、例えば日本人が農耕の民と称されるのとは多少意味が違うように思う。モンゴル人は今でも遊牧民なのだ。都市でしか生活したことのない人も、やたらと草原に行きたがる。夏には草原から町の職場に通う。機会があれば、なくても無理に作って親戚や知人のゲルを訪ねる。訪ねて何をするわけでもなく、馬乳酒を振舞われて、ただ草原をゆく風の音、ゲルを叩く雨音、馬のいななく声を聞きながら機嫌よくしている。
古代中国、草原の移動する民を恐れた秦の皇帝は万里の長城を築くが、これは侵略を恐れたのではなく、帝国の民が草原に引き寄せられ草原に消えてしまうのを恐れた、というのは私見である。
草原の夕焼け
