作業環境測定機関 労働安全衛生コンサルタント事務所 専門家による石綿分析

tokyo occupational safety and health center  東京労働安全衛生センター 
お気軽にお問い合わせください。 03-3683-9765    

英国視察報告 2016年11月

 
 石綿問題総合対策研究会と建築物石綿含有建材調査協会(ASA)による英国視察旅行が11月から12月にかけて行われ、私は11月22日から28日まで参加しました。概要は以下のとおりです。
11月22日 バクストン着
        23日 教育研修機関の責任者と面談、ヒアリング
     マックス・ロパスキーさん: Max Lopacki (NATAS Director)
     24日 HSL訪問。HSE、HSLの担当者と面談、ヒアリング
     メリー・トレイナーさん:Mary Trainor
            (Head of Science Impact and Quality)、
     デボラ・ウォーカーさん:Deborah Walker (HM Inspector of Health & Safety)
   ヘレン・ラットクリフさん:Helen Ratcliffe (HSE Asbestos Policy Team)
               ローリー・デイビスさん:Laurie Davies (HSE Science Division, Fibres Team)
     25日 ARCA訪問。トレーニング担当者と面談、ヒアリング
      スティーブ・サッドリーさん:Steve Sadley (ARCA Chief Executive)
          サティシュ・パテルさん:Satish Patel (ARCA Training Manager)
     26日 シェフィールドの除去現場見学
     27日 バクストン発、マンチェスター空港へて28日帰国
 短期間の滞在でしたが、同行したEFAラボラトリーズのエリック・イギナさんとジャーナリストの井部正之さんの尽力によって、教育機関であるNATASの代表であるマックス・ロパスキーさんには半日、監督行政であるHSEとその研究所HSLでは研究所の見学も含めて一日、そして労働者教育を実施している除去事業者の団体であるARCAでも除去現場を模した研修設備の見学を含めて一日をかけて面談してお話をじっくり聞き、見学と意見交換することができました。またマックスさんの紹介で石綿除去現場も見学がかないました。本稿では、全体の印象について背景と私見をまじえて報告します。
 英国の石綿についての監督行政は、保健省のHSE(英国安全衛生庁)がほとんど一手に担っています。日本では厚労省、環境省、国交省の縦割りの弊害が指摘されているのと対象的だ。英国が今の石綿対策の体系を作り出したのには背景があります。英国は世界の最先端の工業国として発展してきた反面、産業活動が原因となる労働災害や公害問題が頻発し、大きな問題となりました。18世紀には世界で最初の職業ガンであるロンドンの煙突掃除労働者のタールによる陰嚢ガンが発見され、1952年のロンドンのスモッグでは2,000人が死亡しました。産業活動がもたらす深刻かつ複雑で予測しにくい災害にどのように対処すべきか?という問題に対して、法律による規制は後手にまわり全てに対処することは不可能なので、現場でのリスクアセスメントによるリスク対策という自主対応型の活動を主体にすべきという趣旨の「ローベンス報告」(1972年)が出されました。これにより英国の労働安全衛生は法規準拠から自主対応に舵をきりました。英国の生産現場では細かい法的な基準は最低限だが、事業者はリスクアセスメントによってリスク管理をしていなければ罰せられます。「大きなリスクを許容しない」逆にいうと「許容できるリスクはやむを得ない」という発想で、日本とはだいぶ考え方が異なります。その結果として労働災害の発生確率は日本よりも2割ほど高いが、10万人あたりの死亡者数は日本の1/4となっています(2005年のデータ)。石綿対策も基本的にこの考え方だが、石綿のリスクは非常に大きいとされ、規制とその運用が厳しくなっています。
 1983年、英国では石綿による死亡者の増加、疫学調査と濃度測定データの蓄積から建設現場での石綿関連作業のリスクが高いと判断されたために世界で最初に石綿除去などの作業にライセンス制を導入した。実はこれはあまりうまく機能せず、90年代の除去現場はひどかったとマックス・ロパスキーさんは評しています。その後2002年以降の改正によって現在の体制となりました。それは、1)個人資格として①建材分析、②建物調査、③気中濃度測定、④完了検査、⑤建物維持管理の5つの資格に整理され、2)新たに除去事業者のライセンス制度が導入され、3)除去作業に従事する労働者、現場監督、経営者などには公的資格ではないがトレーニングコースが作られ、4)建物所有者に建物の石綿リスクの調査が義務付けられました。
 英国の石綿対策の特徴は以下の通りです。
1)石綿のリスクが重大であることが認識され、高リスクに対して高度の対策を求めることが労働行政主導で強力にすすめられています。日本の官庁が「縦割り横並び」から脱しておらず、リスクも過小評価しようとしているのとは対照的です。
2)合理的な実効性を重視しています。法律(The Control of Asbestos Regulations 2012)には例えば「合理的な措置を講じなければならない」とあるだけで、法律ではない行為準則(Code of Practice)でも「特定の作業に必要な技能(competence)があることの証拠を示せ」とあるだけです。証拠が示せれば中身は何でもいいということだが、実際には行為準則の下位にあたるHSEのガイド例えば除去事業者のガイド(HSG247)には石綿ばく露を防止するための必要な措置が記載されており、基本的にそれに従って対策を採っています。石綿の場合は厳格な管理が求められ、自主対応的な裁量の余地が小さいが、基本的にリスクアセスメントに基づく自主対応が根底にある。
3)実効性を担保するための資格、ライセンス、トレーニングなどの枠組みを重視しています。見学させてくれた除去現場は大学の研究所の地下にある長さ20メートルで人が入れるほどのパイプスペースだったが、除去に4週間かかり、完了検査に9日間かかるとのことでした。完了検査は除去とは別に発注されており、除去中は気中濃度の監視を常に行いオンサイトで分析し、問題があれば工事を止めなければならないし、完了検査で取り残しがあれば指摘して再度除去させなければなりません。除去業者は労働者をばく露させてしまうとライセンスを失うかもしれないし、検査業者は十分に監視できなければ資格停止や訴訟になるおそれがあります。確かな仕事ができないと生き残れない厳しい資格制度であることが実感できました。
4)たまに来る厳格な立入検査。除去現場の監督によれば、HSEの立入り検査は頻繁ではないが、来ると非常に厳しく検査され、改善命令、中止命令をためらわずに出します。当然、抜き打ち検査です。最低の労力で最大の効果を得るには「平等主義」ではなく、提出書類から判断して危ない現場に重点的に検査に入ります。
5)労働行政主導で、労働者保護が第一。環境、食料、農業地域省の環境局では廃棄物関連の規制をしていますが、HSEのように強力ではなさそうです。環境局のHPではHSEへのリンクが多い。このことについてHSEの担当者に尋ねたところ、労働者の被害者が大部分であり、労働者のリスク対策が優先され、労働者のばく露が防止できれば、住民も保護できる、とのことでした。
 
 ARCAでは除去現場での技術的に優れた学ぶべき点を目にすることができました。現場を見ることができるパネルやCCTV、1時間に8回換気とそれに耐えられる木組みの養生、除染車と温水シャワー、集じん換気装置などです。こうした点を日本に取り入れることはそれほど難しくはないと思います。しかし英国の石綿対策の基礎となっているリスクアセスメントとそれに基づく対策、そしてそれを実現するための枠組みが長い時間をかけて作られ、鍛えられてきたことは容易に真似することはできません。このことは訪英前から予想していましたが、予想を超えていました。
 英国で出会った皆さんに謝意と敬意を示します。エリックさんと井部さんの通訳に感謝します。
 

HSLにて、石綿の偏光顕微鏡画像の前で記念写真。
 
 
ARCAの研修施設にて。模擬吹付けクロシドライトを湿潤化する練習。
 
 

シェフィールドの除去現場の入口。監視用のCCTVが入口の上にある。
 
 
 
  英国でたいへんお世話になったマックス・ロパスキーさんが私たちと会って半月後の12月11日交通事故で亡くなったという報を受けました。マックスさんはNATAS社代表で、英国のアスベストに関連するトレーニングの設立に貢献した方です。私たちが訪英した際に最初にお会いした方で、11月23日の午後、英国の資格制度について経緯、法律だけではなく、背景や思いについて話してくれました。日本では絶対に見せてくれないアスベストの除去現場の見学まで手配してくれました。英国のリスクアセスメントに基づくマネジメント手法は理屈でその合理性を理解することはできますが、推進してきたのはマックスさんのような熱い思いを持つ人たちと思います。私たちが共にしたのは数時間でしたが、訪英の最初にマックスさんに出会えたのは幸運でした。僅かな時間を共有しただけですが、マックスさんが実現したこと、しようとしたことを日本で実現するために何ができるかを考えたいと思います。マックスさん、安らかに。

ページの先頭へ

 

top